ずうとるびとエレックレコード

ずうとるびのデビューは、74年2月、エレックレコード(ELEC)から。エレックは69年に、通信販売オンリーでスタートしたインディーズ・レーベル。70年代に入って、吉田拓郎海援隊などが所属、フォーク系のレーベルとして名を馳せていきますが、ずうとるびデビュー当時は、既に拓郎はソニーに移籍しており、エレックの中心人物は泉谷しげるだったと言えるでしょう。

ずうとるびのデビュー・シングル「透明人間」のジャケット内側には、“笑点”脚本家の新野隆司氏によるレコード発売までの経緯に触れた文章が載っていますが、その中に、“笑点”の収録で山形県に行った際、ちびっこ大喜利メンバーも含む“笑点”一行が、帰りの列車で泉谷しげると乗り合わせ、山田隆夫が馴れ馴れしく話しかけたことから意気投合したというようなエピソード(真偽のほどは?)が書かれています。

しかし、泉谷しげるは、75年6月、「エレックなんて、ずうとるびがお似合いだぜ」と吐き捨てて、吉田拓郎井上陽水小室等と共に、フォーライフレコードを設立。エレックを去っていきます。


エレックレコードは、ずうとるびのデビューを機に、アイドル系の“愛レーベル”を立ち上げ、まりちゃんず、レモンパイなどを輩出していきます。その他、エレックには、古井戸、佐藤公彦山崎ハコつボイノリオらが所属。大滝詠一の“ナイアガラレーベル”もエレックからでした。まだ10代だったCharも所属していて、エレックの様々なアーティストのバック演奏をしていました。ずうとるびの曲もCharが弾いていたと、江藤くん(江藤博利)が何かの機会に話しているのを聞いたことがありますが、タイトルがわからなくて残念です。


残念ながら、エレックレコードは76年に倒産(ずうとるび東芝EMIに移籍)。その音源は長く封印されていましたが、98年にフォーライフ・レコードより、“エレック復刻計画”と銘打った企画CDが発売に。ずうとるびの「みかん色の恋」が初CD化(『エレック・アンソロジー』に収録)されたのもこのときです。
[関連情報]フォーライフ・レコード ELECページ


そして、05年12月。“エレックレコード完全復刻プロジェクト”が発足(VAP)。05年12月より、12ヶ月にわたり、エレックレコードのアルバム70余タイトルが順次CD化。紙ジャケットで完全復刻されることになりました。このプロジェクトの一環で、ずうとるびのエレック時代の全アルバムもCD化されることになりました。
[関連情報]エレックレコード完全復刻プロジェクトHP


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