そもそも、ずうとるびって?


笑点”の座布団くばりで有名な山田隆夫さん、毎夏の昼ドラマ“大好き!5つ子”のお父さん役でお馴染みの新井康弘さんのことは知っていても、“ずうとるび”自体は知らないという人が、ずいぶん多くなってるんでしょうね。


ずうとるびの原点は“笑点”。70年代の笑点は、毎週の大喜利のほかに、不定期で色々な大喜利があり、その中の人気企画の1つに“ちびっこ大喜利”がありました。文字通り、子ども(子役)による大喜利です。そのレギュラーとして、子役だった山田隆夫、新井康弘、江藤博利今村良樹の4人が揃ったのが73年頃だったかと思います。


座布団10枚獲得した人に賞品が出るのは、通常の大喜利と同じで、ある時の景品が“レコードが出せる”だったわけです(73年の終わり頃?)。で、10枚獲得したのは山田くん(山田隆夫)だったのですが、4人全員で歌うことになり、74年2月に、エレックレコードからシングル「透明人間」をリリース。このとき、楽器のパートが、山田くんと江藤くん(江藤博利)がギター、新井くん(新井康弘)がドラム、ヨシキ(今村良樹)がベースとなり、ヨシキが左利きだったことから「ビートルズみたいだな」ということで、転じて、ずうとるび命名されたと、当時言われていました。


座布団10枚のご褒美だったのに、74年4月アルバム「ずうとるび・ふぁーすと」、8月シングル「恋のパピプペポ」とレコード・リリースは続き、11月に出した3rdシングル「みかん色の恋」が大ヒット。一躍トップ・アイドルの座に。全盛期は75から77年あたりだったでしょうか。テレビでずうとるびを見ない日はなかったですし、レギュラー番組も月曜日から日曜日まで、ほぼ毎日ありました。


77年4月、山田隆夫が婚約発表と同時にグループからの卒業を表明。新メンバーを一般公募。6月末に、池田善彦の加入が決定。77年10月、シングル「青春のひらめき」で新生ずうとるびがスタート。82年3月、解散。

*主なレギュラー番組
【テレビ】
●学校ソバ屋テレビ局(TBS系 1974年10月6日−1975年3月30日)
レッツゴーヤング(NHK総合 1975年4月−1977年3月)
●笑って笑って60分(TBS系 1975年4月−?)
●時間だよ!アイドル登場(日本テレビ系 1975年?−?)
●銀座NOW(TBS系 ?−?)
●噂のチャンネル(日本テレビ系 75年?−?)
●ばあちゃんの星<ドラマ>(TBS系 1975年10月3日−12月26日)
凸凹大学校東京12チャンネル=現・テレビ東京 1977年10月−1981年9月) 
【ラジオ】
ヤングタウン東京 女の子だけで満員御礼
ずうとるびファイト
ずうとるびドリームランド


[このページの先頭に戻る]