●「恋があぶない」中国語カヴァー

華流(台湾)スター好きの方は、ご存知かと思いますが、「恋があぶない」の中国語カヴァーが、台湾のアイドル界で、脈々と歌い継がれています。
元々は、劉 文正(リュウ・ウェンジョン)=ボビー・リュウという70年代の男性アイドルが「若是イ尓在我身辺」([イ尓]は一文字)というタイトルで歌っていて、90年代になってから、日本でも人気が高い任 賢斉(レン・シェンチィ)=リッチー・レンが、更に00年代になってからも、香港の男性デュオSHINE(シャイン)がカヴァー。
しかしながら、台湾でも香港でも、“オリジナルが日本の歌謡曲だった”という事は知られていないようで、リッチー・レンSHINEも、台湾の70年代アイドル ボビー・リュウのヒット曲をカヴァーしたという認識のようです。

ボビー・リュウ「若是イ尓在我身辺」(アルバム『諾言』に収録)
[クレジット]作詞・韻笙/作曲・不詳


ボビー・リュウの「若是イ尓在我身辺」は、原曲よりも少し遅めのテンポですが、イントロ・間奏も含めアレンジはほとんど「恋があぶない」のまま。もともと台湾でいつ頃リリースされたのか等は情報がないのですが、台湾の“80年代ヒット曲”を集めたオムニバス・アルバムにも収録されているので、多分、80年代初頭のことだったのではないでしょうか。ちなみに、ボビー・リュウは1952年生まれ。いずれにしても20代後半になってから歌ったはず。ZBの方は平均年齢17歳の頃で、あどけなさが残る可愛い雰囲気でしたが、ボビー・リュウ版はかなり大人の(と言うか、ちょっとオッサンっぽい)雰囲気です。
いったい、どういう経緯で、この曲をカヴァーすることになったのでしょうか。


リッチー・レン「若是イ尓在我身辺」(アルバム『齊跡LIVE演唱会』に収録)
[クレジット]作詞・韻笙 (作曲者の記載は一切ナシ)


このアルバムはVdeoCDで、リッチー・レンのライヴ映像が収録されているのですが、バックバンドを従えて、「若是イ尓在我身辺」(「恋があぶない」)を歌ってます。イントロではあのフレーズを使っていますが、間奏ではギターソロが入って、一生懸命にロックっぽくしてるという印象です。いつ、どこで行われた公演かわからないのですが、アリーナ級の大ホールで満員の客席は「恋があぶない」に合わせて、みんなペンライト振ってます。観客の反応を見ていると、彼の持ち歌としてもお馴染み、という感じです。
後日、リッチー・レンファン・サイトを運営されている瑠楽さんから情報をいただきました。リッチー・レンが最初に「恋があぶない」をカヴァーしたのは、97年12月に発売された『很受傷』というアルバムだったそうです。元々の「恋があぶない」のリリースから20年以上も経ってから、台湾でカヴァーされるとは、ビックリです。


SHINE「若是イ尓在我身辺」(CDVアルバム『明光組合』に収録)
[クレジット]作詞・韻笙/西洋曲


香港のアイドル・デュオ“SHINE”。02年に、18歳で香港EMIからデビューした2人組ということで、日本で言ったら“KinKi Kids”みたいな感じなのでしょうか。イントロから、かなり違う印象で、チープな感じのアレンジがアジアっぽくてイイ感じです。このアルバムのリリースは04年。元々の「恋があぶない」から約30年後です。ひょっとして、「恋があぶない」は、アジア圏では、中華ポップスのスタンダード・ナンバーになっているのかも?



歌詞の内容についても、リッチー・レン ファン・サイトの瑠楽さんから、お知らせいただきました。
原曲の「恋があぶない」とは全然関係なく、“もしも君がそばにいてくれたら、月はもっと輝くだろう。僕の気持ちは変わらない。永遠に君を愛し続けるよ。心の底からそう思うんだ・・”といった内容だそうです。昔の恋人を想う歌という感じでしょうか。


尚、気になる「作詞・作曲」のクレジットなのですが、作詞者名はいずれのCDも「韻笙」となっているのですが、作曲者名は、ボビー・リュウのCDでは「曲:不詳」という表記、リッチー・レンのCD(入手したのは、VideoCDでした)では作曲者の表記一切ナシ、SHINEのCDでは「西洋曲」という表記。どこにも、作詞者の岡田冨美子さん、作曲者の佐瀬寿一さんのお名前はありません。


しかしながら、謎なのは、いちばん最初に「恋があぶない」をカヴァーしたボビー・リュウさんなる人物。なぜゆえに「恋があぶない」だったんでしょうねぇ。
ちなみに、ボビー・リュウリッチー・レン、SHINEのCDは、以下サイトで購入できます。
クイック・チャイナ




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